私は誰かを無神経に笑ったりはしないように生きようとしている by 大童澄瞳
これは人間のはなし。
私は障害者である。
母親は片足が無い身体障害者であり、姉は幼少期から発達障害を疑われ通院を開始、小学生の頃か確定診断を受け障害者手帳を取得する。
父は姉の次に発達障害やADHDの確定診断を受け障害者手帳を取得。
家族に遅れること数年、漢字が書けず、字を読むのが苦手で、計算もまた病的に苦手な私は高校辺りで学習障害などから障害者手帳を取得し、満を持して家族全員が障害者手帳持ちとなる。
また両親は元々手話が出来るため、私は幼少期からろうあ者と接する機会も多く、同時にさまざまな精神障害者とも会話することもあった。
私は一般的な市立小学校に入学した。
日本人が多かったが、アメリカ人、日系ブラジル人、イラン人、エジプト人、ナイジェリア人、中国人、韓国人などがいた。
私は男でありながらハムスターやぬいぐるみなどの可愛いものが好きだったが、小学校ではじめて「それは女の子用だよ」と女子に言われた。
わたしは自分の性自認について、自分の身体が男性であるからかろうじて自分を男性だと認識しているに過ぎず、性別への帰属意識は低く不安定なものだと感じている。
学校には色んな人がいた。
嫌な思いをたくさんしたし、私も嫌な思いもさせたと思う。
いじめられたのと同時に、一部の勉強にもついていけず不登校がちとなった。
生い立ちと関係があるかはわからないが、私は中高生の頃から先の予測できる作品や見慣れた役割のキャラクターよりも、珍しいタイプのキャラクターや意外な展開を好んだ。
今私は自分で描く作品の中でそれを実行している。
これまでの定番ではなく、自分の感じてきたリアルを混ぜ込む。
主人公達も何かあるし、学園はさまざまな背景を持った人間達がいるんだろうなと思いながら筆を走らせる。
それは社会から政治的に正しい表現を求められたからではなく、自分の出自が産んだ選択であると同時に、私はそういった表現が"日常"である世代でもあるのだと感じている。
私は最近ツイッター上で「ポリティカルコレクトネスなどに対して冷笑系の作家だ」とジャッジされるという体験をした。
私がある人物にそう指摘される直前にしたツイートはこの文章と内容はほとんど変わらない。
ポリコレ、政治的正しさが求められた結果ではなく、自分の生きた世代から自然に生まれるフラットな表現がある。
表現に政治的正しさを求める我々人類が最終的にどこを目指しているのかというと、政治的な配慮などが無くても人々が自然体で互いを尊重し合う安定した状態であり、それはまさに私の世代からが自然体で進歩・進展させ得ることだと考える。
この中でポリティカルコレクトネスについては一切否定していない。
私が受けた批判はおそらく「ポリコレなんかいらない。俺様は多様性を充分知ってる」と誤読したものであり、かつ言いたいことを180度真逆に捉えていたものであった。
今までに何度かこのようなツイートを目にした。
「映像研の作者、なんだったか忘れたけど確か冷笑系だったと思う。買わない」
「作者はフェミニズムに対して冷笑系」
私はこういった反応に少なからず動揺したりもした。
性別や国籍や障害について冷笑していられるような人生ではないからだ。
自分視点の人生だけでなく、色々な人の人生を考えてきた。
並べたり比較したりしながら理解を深めようとしてきたこの生き方ももう20年以上になる。
だからこそ"人間"についてこだわって描き続けた。
今、私の生きる実態を「冷笑系」と言われることについてどう思っているかというと「その読み方がその人のコンディションや能力では限界なんだ。同時に私の自己表現の限界なんだ。それは多分仕方のないことだ」という感じ。
一生懸命、色んな人がいることを知って理解しようとしてきた人生だ。
今更心の底から人を「バカだ」などと断罪する楽で無責任な生き方には戻れない。
そんな中でも、私は名誉のためでもなく、なにか嫌な空気が伝播していくことには少しだけブレーキをかけたいと思う。
だから、少しだけこういった文章を残しておきたいのだ。
私は誰かを無神経に笑ったりはしないように生きようとしている。
このページのタイトルには、最後の一文を置かせてもらった。
私は誰かを無神経に笑ったりはしないように生きようとしている。
これはとても誠実だなあ、と感じた。締めが「生きている」じゃなくて「生きようとしている」なのがぼくにはズンッときた。ぼくも「生きようとしている」の表明をやっていこう。 「(すでにそのように)生きている」だと、すぐさま「できていないじゃん」という自己批判が浮かぶし、かといってなにも表明しないのもビビりすぎだなあ。「そういうふうに生きようとしている」という表明は、今はできていないし、でもそういうつもりでやっていくんだ、それをよしとしていくんだ、というスタンスとして心強い。